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「頑張ります。」と言う、キーワード。

  • 執筆者の写真: shinichiro honma
    shinichiro honma
  • 2020年7月4日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年7月17日

振り返れば、師匠の門を身一つでたたいてから、25年が過ぎた。厳しいトレーニングだったとは言え、愛にあふれ、けっして見捨てられる不安を抱かせず、私の職業の基礎を作ってくださった。師匠には、改めて感謝の言葉しかない。

毎朝、鎮守様、先祖代々、亡きペット、そして、二人の師匠に祈りをささげている。


教育分析(カウンセリング)の中で受けた指摘が今も、私の中に、師匠の声のまま残っている。


「不安なセラピスト(ワーカー)はよくしゃべるのよね。」

「クライエントは、あなたになりたいわけじゃないのよ(ポジティブ転移があることを勘違いするな!)。」

「治療者無力は有効だけど諸刃、けっして見放してはならない。そう思わせてもいけない。何があっても。死んでもいけない。」(説教しない、お願いしない、脅さない)

「カウンセリングは格闘技。時間をケチるとろくなことにならない。」


私自身、成熟した人間じゃないし、人間関係は極めて稚拙、いい年になって組織とうまく関われない。あえて言うなら上手に喧嘩できない。知り合いは多いが、友人は少ない。

そんな人間が、公的な機関でスーパーバイザーを務めたり、講師を務めたりするのは少し後ろめたい。しかし、私自身が、師匠の指導のたまものだと自負するところはあるので、お恥ずかしながら・・・役割として。


長く、人と関わると、特徴的なキーワードに何度も出くわす。それは、「大丈夫」と「頑張る」だ。もちろん、言葉と、そこに乗せられる意味が同じなら問題ないのだが、言葉通りに受け取るわけにはいかない。

彼らは、そのキーワードを使うことで、その先の不安を回避するのだから。


さらに、ほぼ例外なく、劣等(感)を持っている。コンプレックスと言い換えると、怒りや悲しみなどの強い感情、体験、思考などが無意識に結びついている強い認知を説明できる。


アドラーは、劣等と劣等感は異なり。「劣等感は、課題から逃げる言い訳である」と言い、ホーナイは、「劣等感は所属感の欠如」だと言っている。


マズローは、欲求の五段階説のなかで、生理的欲求(食欲など)と安全の欲求(安全安心)が満たされると、三段階の人や社会から受け入れられたいという社会的欲求、そして第四段階の承認欲求に至ると説明している。


なるほど、「所属感の欠如」はマズロー流に言えば、欠如しては自分らしく生きられないということだから、劣等(感)に置き換わることで、何とかリカバリーして所属(承認)するために、「頑張る」キーワードが出てくるわけだ。


さらに、劣等感(コンプレックス)は、怒りや悲しみなどの強い感情、体験、思考などが無意識に結びついているわけだから、成育歴や生活歴までをさかのぼり劣等と劣等感を分けていく作業は有効だし、しかし時間も必要だ。

しかも、雲をつかむような話に乗れるほど軽い話ではなく、彼等が取り組んできたコーピングは「生きざま」にまで完成されている。

認知行動療法やカウンセリングなどというまやかしは、説得力を持たない。


師匠は、「クライエントをいかにその気にさせるか。それがカウンセリングよ!。」と。


私も、その気にさせられた一人だった。




 
 
 

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