大きなバックパックに美容師七つ道具
- shinichiro honma
- 2020年10月13日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年10月15日
先日のカウンセリング。クライエントは大きなバックパックに美容師七つ道具を詰め込んで来所。
「髪切りましょうか。いいですよ。」(前回カウンセリング時)
まさかの…、カウンセリング室でカット開始。(あぁ、もちろん、カウンセリングの後で)
「椅子はキャスターのついてないのがいいです。動いちゃうんで。」
「コンセントは…。」(バリカンにドライヤー)
「ここにしましょう。ちょうど大きな鏡もあるし。」
「きつくないですか?。」(首にタオルを巻いて、例のあれ、袖に手を通すやつを巻く)
「始めますよ。」「はい。お願いします。」(ちょっと緊張?)
なんのストレスもなく、カットは進んでいく。バリカンもストレスフリー。鋏が髪を切る心地よい音とともに、どんどんすっきりしていく。
それにしても、細く長い指、スマートな体型(糖質制限仲間でもある)、優しい顔立ちが、私の中では、すでに“美容師”だ。
「おつかれさまでした。」「ありがとうございました。」
「なんだか…なんといっていいか、ちょっと感動した」(私)
「そうですね。6年ですもんね。」
そうか。このたった二行のコミュニケーションに、お互いが、6年の凝縮を感じているんだなぁと、思った。
6年前。精神保健福祉センターよりリファー。お母様と彼とお会いした。
線の細い、しかし、自意識とは別に不安と怖れを隠そうと繕っているように見受ける方だった。
彼は、当初より、同じような立場の方々へのシンパシーと、社会の不寛容に敏感だった。それがセラピスト(私)との共通の話題となった。私が「ひきこもり」関連の講演を依頼され、彼に意見を求めると、彼は、「とにかく、(ひきこもる人に)無理やり何かするのはやめてほしい。」と話してくれた。
親が高額(数百万円)な費用を支払い、専門家を語る業者が、ドアを蹴破って「ひきこもる子」を連れ出すシーンがテレビで繰り返し流れた時、「ひきこもり救出マニュアル」の著者でもある斎藤環先生は、それを指して「尊厳のかけらもない」とコメントしていたが、同感である。
次元こそ違うが、私も“無理やり”は嫌だ。私が親から言われ続けて嫌だったのは、「あなたのために言っている。」だった。従わなければ当然、罪悪感に見舞われる。罪悪感を打ち消すには、より自分の意志を強く確認するしかない。間違っていようと。
6年、日帰りの旅行にも出かけた。前回はいつだったか忘れるほどの新幹線乗車。京都新選組ゆかりの地ツアー(二人だが)。雪の福島、鶴ヶ城。
彼がいなければ出会うことはなかったろう。
「旅行」
お会いし始めた当初、彼は公共交通機関を利用しなかった。電車の利用を提案すると、「僕にとっては旅行(と同じくらいの位置づけ)ですよ。」と話されていた。
そんな彼が、美容師になりたいと言い出した時は、率直にうれしかったし、驚きもした。
あーせい、こーせい、とは言わなかったが、彼のペースがどこにあるかは手探りだった。
彼は本当に一生懸命に学んだ。クラスメートとの葛藤も抱えながら、実習や就活をこなした。
不運も重なった。しかし、その不運は、結果的には幸運だったのだろうと私は思っている。
彼は、最後の実習を終えて、エネルギーが切れてしまった。復活するまでには時間がかかると。
最後の実習は明らかにいじめだったと私は思う。虐待にも似た、投影同一視の中で、彼は耐え抜いた。耐え抜いてしまった。
「退学する。」「もう無理。」
続けてほしいとは言えなかったが、のちに、「先生は続けてほしいって言いましたよ!」と。“あらら”
お母様ともお話をさせていただきながら、彼は復学する意思を表明。すごいなぁ。
彼はまだ正式には美容師ではないが、向いていると感じる。
ひきこもっているけれど髪を切りたい。年齢に関係なく、障害を持つ方々や高齢者も含めて、外に出たくても出られない、そんな方々の髪を切ってあげたい。「訪問美容をやりたい。」
そうだね。向いていると思うよ。
その人にはその人にとっての必要がある。時間も、形も、人それぞれだ。
「ひきこもるための支援」、「ひきこもらせて差し上げる支援」があってもよいではないか。

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