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被害を訴えても安心して支援につながる社会とは

  • 執筆者の写真: shinichiro honma
    shinichiro honma
  • 2020年11月22日
  • 読了時間: 1分

更新日:2020年11月23日


彼女は、社会的地位の高い専門職に就いて忙しく勤務していた。そんな彼女が、生活に行き詰まり、ある方の紹介で相談にいらした。表現される被暴力。性的奔放。家族のしりぬぐい。過労。その凄まじい生き方は、外見からは想像できない。いや、完璧なまでに、カムフラージュされていた。カウンセリングが進んでいくと、多くの方に共通する「自己評価の低さ」に行きつく・・・彼女は・・・幼少期、「おじさん」に駄菓子屋の裏に連れていかれ、そこで性被害に遭った。「おじさん」は、行為を終え、「誰にも言うんじゃないよ」と、チロルチョコレートを差し出した。彼女はそれ以来、自分の価値が「チロルチョコレート」と等価になった。以降、彼女はその否定的信念を払拭すべく悪戦苦闘の人生を歩まされることとなる。まさに「性被害」を認識することなく40年近くが過ぎてしまった。まさしく、「被害を訴えても安心して支援につながる社会」が必要だ。しかし、実はもっと必要なのは、訴えた時、訴えることを促した時、手を差し伸べた者が、最後までその手をつかんでいることだ。二度離された手は、否定的信念を再強化する。もう二度と、差し伸べられた手をつかむことはないだろう。


 
 
 

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